一月八日。平成元年の記憶

昭和六十四年一月七日のことはあまり覚えていませんが、翌一月八日の景色を覚えています。
当時、笹塚駅から徒歩圏内の消防学校脇の4畳半風呂なしトイレ共用の部屋で暮らしていた私は、大学最後、4年生でした。
前年まで、野球を見に行ったり、海に行っていた友人たちは、みな内定をもらって、数ヵ月後に迫った社会人デビューに不安や希望を抱いていたのだと思います。
これに反して、当時の私は一切就職活動をすることなく、バイトをしていた映像制作のロケで前年にサイパンに行った名残で、一人真っ黒に日焼けした顔で、小さな木枠の窓越しに空を見上げていました。

京王線と京王本線のちょうど、地下から車両が登ってくる辺りをぱたぱたと歩いたと思いますが、木村屋の工場も静かで、電車も止まっているかと錯覚するような、そんな静寂がそこには確かにありました。
肩をすぼめるような寒さではなく、おだやかな、小春日和の、でも澄み切った空気を感じながら、散歩から帰った私は、木造の部屋の下半分が磨りガラスの、小さな窓から南の青い空を眺めていたんだと思います。
平成がはじまった一日はそんな感じだったと、その一瞬はとても鮮明に記憶しているのです。

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